ONION商標・弁理士の山中です。

「明けまして〜」のご挨拶には遅くなってしまいましたが、弊所ウェブサイトへの投稿(記名)記事としては2025年1本目であることは変わりはありません。改めまして、本年もよろしくお願い申し上げます。

さて、年末に地元の図書館に行ったところ、「ご自由にお持ち帰りください」と書かれた棚があり、そこに並べられた古い書籍の中で、目を引くものがありました。

法学書院「弁理士への道〜その魅力と将来性」

という書籍です。ほぼ30年前となる1994年(平成6年)の刊行で、現在は絶版のようです。

私ごとで恐縮ですが、94年といえば、自分が大学を卒業し就職した年。弁理士という資格は、高校時代に興味を持っていた友人がいたため、その名称と存在を聞いたことはあったものの、理系にも法学部にも進まなかった自分の就職時には意識の片隅にもなく、具体的に何をする士業なのかも理解していませんでした。そう考えると、「人生って、わからないもんだな」と感慨深くもなるのですが、

当然、持ち帰り、パラパラとめくりながら、

・現在の弁理士(業、業界)と、何が異なるか。
・逆に、今も昔も変わらない部分があるか。

などを探ってみました。

1. ”先輩弁理士からのメッセージ”には、あの有名人も!

3部構成になっているこの書籍の「Part 2」を先に見ると、「先輩からのメッセージ」と題され、弁理士先生方(※その多くがいまだに現役でいらっしゃるはずで、そうするとキャリア30年〜50年の超・大先輩方です)が、現場の近況と後進へメッセージを綴られています。

そんな中で異質なのは、「いま弁理士を顧みて」という文章を寄せられている、

菅直人さん(第94代首相)。

どのように弁理士を目指し、合格されたか、特許事務所入所から独立、そして政治の道へと進まれた経緯が詳しく記されていて、(弁理士資格をお持ちなのは存じあげていましたが、)実際に弁理士として働かれていたことなど、自分は初めて知りました。そんな菅さんが、昨年政界引退をされたのですから、歳月の長さをあらためて感じます。

2. 約30年前の「弁理士の1日」

Part1は「弁理士とはどんな職業か」という内容で、その中の「弁理士はどんな仕事をするのか」という章に、「弁理士の一日」という項目がありました。これはあくまで一例というか、弁理士のペルソナのようなものの仕事内容が書いてあるのですが、そこに時代を感じさせる記述がありました。たとえば

・「特許出願の明細書はワードプロセッサーによって自ら作成する場合と、テープに口述して所員に印字させる方法があるが〜」
とか、
・「平成二年十二月一日から特許、実用新案については電子出願となったので、当初はフロッピーによる出願をしていたが、平成四年四月一日からオンライン出願に切り替えたので〜」

などです。
でも、思い返してみると、自分が当時働いていた会社でも、90年代後半まで、部署に数台しかないワープロを取り合って、書類作成していましたね。

「テープに口述→所員が印字」というのも面白いですね。ただ、記者やライターさんが、インタビュー音声の「テープ起こし」のアプリで、使い勝手のいいものが登場したのって、つい最近ですもんね。もっとも、そこから急速に「生成AI」の活用(※これらを使っての、弁理士の書類作成については、その是非や、どこまでできるのか?がホットなトピックになっています)へと時代が動いています。

一方、平成四年(92年)の段階での「オンライン出願」というのは、かなり早い取り組みだったのではないでしょうか。自分が94年に入社した会社(旅行会社)では、支店と本店をつないで予約処理をする「イントラネット」は開発されていたものの、外部とつながる、いわゆるインターネット接続されたPCは、100人以上が働くフロアでも、たった1台しかありませんでした(※それを触る社員もほとんどいなかったので、自分はそれを使って、海外の音楽ニュースなどを検索していたのは、時効にさせてください)。

なお、現在では、弁理士が利用する特許庁のオンラインシステムは(改修を経て)、出願はもちろんのこと、ほとんど手続きが、専用のアプリを利用してのオンライン手続きがデフォルトとなっています。

あと、お客様とのコミュニケーションについては、同じ章の「出願等の受任」という項目でこのような記述もありました。

・「出願等の依頼は、まず依頼者が特許事務所を訪れた所から始まるが、〜」

確かに、94年というと、「インターネット」の導入具合自体が、企業や個人によってかなり差があった時代です。つまり、メールでのやり取りはまだ一般的ではなかった(ましてやそこへの資料添付など)わけですから、まして重要な秘密事項を伴う特許等の打ち合わせは、対面が基本だったでしょうね。

なお、弊所ONION商標は、立ち上げ時から所員各自が原則リモート勤務を導入していますが、全国のお客様対応のデバイスの主力は、つい最近まで「電話」でした。Zoom等の「Web会議システム」をメインで利用できるようになったのは、奇しくもコロナ禍でその利用が一般化してからになります。

3. 弁理士の役割はどう変わった?

特許庁への手続き(特許・実用新案・意匠・商標の出願等)の代理が、弁理士の専権業務であることは、現在も変わらないのですが、

94年の書籍だと、中でも「実用新案」についての記載が多い気がします。ちなみに、当時と現在の実用新案の出願数を比較すると
・2023年: 約5,000件
・1994年:約70,000件
と、今よりかなり多かったのですから、当然かなと。
ただし、上記の7万件も、ピーク時に比べればだいぶ減ってきた数字でした。その利用を促進すべく、特色を出すための実用新案法の改正(実体審査の廃止など)が行われたのがまさに94年なのですが、結果、むしろ減少に拍車がかかっています。これは実用新案権の対象となる「考案」は、「発明」であるとして特許の対象にもできるため、そちらで出願することが一般的になっているのでしょう。

そして、それ以上にこの書籍で気になるのは、

「工業所有権」という表現が多い
(←→「知的財産権」の文字は見ない)

という点です。

狭義の工業所有権とは、特許・実用新案・意匠・商標の各権利を指すわけですが、

そもそも、弁理士法の前身である「特許代理業者登録規則」(明治 32 年=1899年!)で、弁理士の業務範囲を「特許、意匠又は商標に関する代理業務」と定めて以来、大正時代に「弁理士法」となり、その後、業務独占規定や鑑定等が昭和初期までに追加されたものの、驚くことにその後、平成 12 年(=2000年)に制定された「新しい」弁理士法まで、大きな変更はなされなかったのです。

つまり、94年発行のこの書籍では、「工業所有権」と記載されているのは、当然でした。

しかし、2000年代までに、ユーザーニーズの多様化に応じて、ライセンス契約の交渉や知的財産分野全般にわたる専門的サービスを提供することが弁理士に求められようになっていた状況をふまえ、2000年の「新」弁理士法で、契約代理業務・紛争処理業務が、(独占業務ではないものの)弁理士の名の下に行える「標榜業務」として追加されたわけですが、

その「新」弁理士法においてもまだ、第1条の法目的では、「『工業所有権』の適正な保護及び利用の促進」を標ぼうしていました。

その後、(幾度かの法改正を経ながら、)弁理士は、工業所有権に関する業務だけでなく、育成者権、著作権に関する業務等、広く知的財産権に関する業務を行っていることを踏まえ、

平成26年(2014年)の弁理士法改正でやっと、1条(法目的から「弁理士の使命」に変更)において、「工業所有権」という表記が、「知的財産権」に修正されたのです。

(参考:現在の「弁理士法」第1条)

(弁理士の使命)
第一条 弁理士は、知的財産(※筆者略)に関する専門家として、知的財産権(※筆者略)の適正な保護及び利用の促進その他の知的財産に係る制度の適正な運用に寄与し、もって経済及び産業の発展に資することを使命とする。

今でこそ、日本弁理士会(※あ、こちらも2001年に改称されるまでは、端に「弁理士会」でした)のウェブサイトにも、「弁理士は“知的財産に関する専門家”です。」と記載されていますが、そのキャッチコピーの根拠が生まれたのは、比較的最近なんですね。

4.「便利屋」じゃなくて…弁理士の知名度は上がったか?

冒頭にもどると、はしがきには、「『よく便利屋と間違えられますよ』といった弁理士の声も聞きます。」とあります。現在はどうでしょうか?

どのような業界の方とのやりとりかにもよるでしょうが、これは、現在でもこのようにボケられていじられたり、あるいは弁理士側が自虐的に言ってしまったりしがちな、お決まりのフレーズです。

確かに、現在は「知的財産」への意識は、一般的には向上した印象はあります。一方で、弁理士が、「知的財産の専門家」として一般的な認知を得ているか、というと疑問が残ります。

この知名度には、弁理士の数(の少なさ。1万人強しかいません)も影響していると思うのですが、

(参考)【弁理士のつぶやき(ときに長め)】 「あらためて『弁理士』という仕事を説明してみる〜ドラマ『それってパクリじゃないですか?』によせて」
https://onion-tmip.net/update/?p=1202

弁理士登録ができるのは、弁理士の資格を所有する人、主に弁理士試験の合格者ということになるのですが、

令和6年度弁理士試験の志願者数は3,502人に対し、合格者数は191人であり、最終合格率は6.0%

でした。

(※自分が合格した2012年は、志願者数7,930数に対し、合格者数 773人 10.7%)
(※過去、最も志願者が多かったのは、2008年の10,494人)

しかし、94年以前の合格率の低さは、現在をさらに大きく下回るものです。
書籍に掲載されている一番古い、昭和42年(67年)の

本試験合格率が3.3%

その後も、3%前後で推移し、平成3〜5年(91年〜93年)は3%で変わりません。この間、受験者数が1,500人弱から3,700人強に増えているので、合格者数こそ100人を超えるようになっていますが、それでもやはりそもそも、弁理士の数の少なさが、その知名度の低さにつながっている面は、解消されていないのかと思います。

5. 弁理士試験の制度の変化

弁理士になる一般的な方法は、「弁理士試験」に合格することですが、その内容や難易度は、受験者数にも影響を与えますよね。94年のこの書籍では、「予備試験」「本試験」の記載があります。前者は、これはざっくりいえば、大学卒業資格を持たない人に課されてかされていたもの。01年に廃止されているので、今は学歴に関係なく、弁理士試験を受けることができます。

そして当時の(弁理士)本試験を見てみると、呼び方は多少変わっていますが、三段階の試験があり、1次・2次が筆記試験、3次が口述試験(下記)という構成は変わっていないのですが、

①多枝選択式試験 ※現在は「短答式筆記試験」
②論文式試験(必須科目・選択科目) ※現在も「論文式筆記試験」
③口述試験

その内容は、だいぶ違います。たとえば、

・①に、当時は「著作権法」「不正競争防止法」の出題がなかった

など、現在のほうが出題範囲が広い点もあるのですが、概ね

当時の方が負担が多い!

ものでした。たとえば、

・②(論文)の必須科目が、現在は3科目(「特許法・実用新案法」「意匠法」「商標法」)なのに、当時は5科目(「特許法」「実用新案法」「意匠法」「商標法」「条約」)
・②の選択科目は、現在は6科目から1科目選択だが、当時は「41科目から3科目」を選択
・③(口述)も、現在は必須科目と同じ「3科目」だが、当時は5科目

となっていました。

また、現在は、短答式・論文式筆記試験を突破すると、(最終合格できなくても)それぞれあと2年は「免除」という制度になっています(筆者も、最初は①を突破も②で失敗、翌年は①が免除で、②・③を突破し最終合格でした)。

が!94年当時は、必ず1次試験から受けなければいけなかったんですね。先輩弁理士や、受験予備校の先生(弁理士)から聞いたエピソードで、「やっと選択式試験を突破したので、翌年に向けて論文の勉強に注力したら、翌年は選択式で不合格になってしまった!」というようなことがよく起きていたそうです。

このように、多様な人材な確保や、「知的財産立国」という方針により、弁理士試験が受けやすく、志願者数を増やすことに成功したわけですが、現在はまた志願者数がピーク時の3割強へと減少しています。ここらへんは、合格難易度(合格率の低さ)もさることながら、弁理士の「将来性」への評価も影響しているのではないでしょうか。

6. .弁理士の「成功」とは?〜変わるもの・変わらないもの

では、弁理士の将来性とも関連する、「弁理士の成功」とは、なんなのでしょうか。この書籍では、「弁理士業界について」という章で、「弁理士の収入」という項目を立てて、あくまで仮定(ペルソナ的な弁理士)ですが、これぐらいの働き方をするとこれぐらいの売上になって、そこに支出がこれぐらいだから、だいたい年収はいくらぐらい…というような推定も書かれています。

ただ、すぐ次の章「弁理士として成功するための秘訣」という章で、こうも書いています。

「弁理士として成功するとは、如何なる状態をいうのか議論の分かれる所であるが〜」
「〜大事務所の経営者となること、または所得が著しく多くなることを望むならば、事務所経営の成功であって、必ずしも弁理士としての成功に結びつかないし、」
「また個人業として事務処理量に制約がある以上、その結果生じる報酬にも自ら限度があって〜」
「〜高額所得を成功の基準と考えるなら、弁理士以外の職業を選ぶべきであろう。」

特に、この94年の本の段階では、まだ「特許事務標準額表」というものが存在しており、弁理士の報酬は、(当事者の合意が原則であるものの)この表にならうことになっていたのです(※2012年の「新」弁理士法にて廃止されました)。

しかし、その直後の段落では、こうも書かれています。

「弁理士は出願等の手続きの代理人であり〜」
「〜かかる職務を十分に果たし得る状態にあることが成功とみなされよう。」

と。そうですよね。弊所ONION商標も、もちろん売上も大事なのですが、その前に、

「まっとうな弁理士になろう。」

こそ、代理人間の合言葉であり、真のテーマなんですよね。

では、どうすればそのような『成功』に辿り着けるのか、94年の書籍は、以下の事項を心がけるべき、と指南しています:

(1)信頼を得ること
(2)能力の向上に努めること
(3)想像力を豊かにすること

…これって、全く現在の弁理士にもあてはまりますよね。少なくとも、ONION商標の弁理士には今でもスローガンにできる3点です。そして、次章「弁理士の将来性について」の結びでは、以下のように記されています。

「〜他人を蹴落とすことなく、自己の努力により成功できる数少ない職業の一つということができる。」

と。確かに、30年前に比べれば、(弁理士報酬の)価格競争も進み、特許出願の減少といった状況もあり、弁理士事務所の経営も簡単ではありません。

しかし、ONION商標は、上記(1)〜(3)を心がけながら、商標を中心とした弊所の特色をさらに研ぎ澄ませて、他人を蹴落とすことなく、「成功」したいと考えます。

30年前、現在とは状況が大きくことなる古い情報の中に、現代にも通用する「弁理士の心がけ」を発見し、あらためて背筋がの伸びた年末年始でした。ということで、本年もONION商標をよろしくお願いいたします。