こんにちは。ONION商標・弁理士の山中です。

自分は、プロ野球「横浜DeNAベイスターズ」の、かなり古参のファンなんですが、

ENTiPコラム【不定期ベイスターズ・コラム】勇者の遺伝子(DeNA)は、星や鯨にあり〜その3 「2025年のバウアーに期待するのは、ベイスターズを優勝に導くことだけではない」http://entip.jp/topics/349/

古参、それも「球団名が違う」頃からのファンが、ざわつくニュースが先日ありました。

「マルハニチロ、社名「ウミオス」に変更へ…池見社長「地球規模の課題を解決する決意表した」(読売新聞オンライン)
https://www.yomiuri.co.jp/economy/20250324-OYT1T50134/

マルハニチロが社名変更 2026年3月「ウミオス」に【WBS】(テレ東BIZ)

しかし、最近のファン、いや30年近くチームを応援しているような、十分「古参」と言えるファン歴の方でも、何がざわつくのかピンと来ない方もいらっしゃるかもしれません。

実は、こういうことなんですね。

ベイファン衝撃、マルハニチロが「Umios」に社名変更 SNS「昭和の名残が消えた」と嘆き(iZa!)
https://www.iza.ne.jp/article/20250324-YOIZLYKHVJDK3FEMBZCHTY7ZCM/

マルハニチロ社は、現在のベイスターズに対しても、オフィシャルスポンサー/DeNAスポーツのオフィシャルパートナーだったりするので、最近ファンになられた方にもお馴染みの企業だと思いますが、

かつては、大洋漁業株式会社という社名で、この球団のオーナー会社だったんですね。

球団名も「大洋ホエールズ」

なぜWhale(鯨)が愛称だったのかといえば、当時の同社の主力事業に「捕鯨」があったから、だそうです。ちなみに、当時のオーナーは、「クジラ一頭、余分に獲れれば選手の給料は賄える」ともおっしゃったそうですよ。

《名物オーナー列伝》クジラ一頭で選手を賄える!? 大洋ホエールズオーナー・中部謙吉(週刊野球太郎)https://yakyutaro.jp/r.php?hash=2C9pT

しかし、それと「マルハ」がどう関係あるのか。もともと「マルハ」とは、同社の前身の屋号「林兼」の略称として、「は」の字を用いており、林兼商店となった後も丸枠の中に「は」の字を入れた商標を用いていたことに由来するそうです。

現存している「は(マル)」の登録商標で、一番古いものは昭和36年(1961年)の出願でしたが、既に消滅しているこちらをみると、大正10年(1921年 )の登録のものがありましたよ。
https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1801/TR/JP-0137137/45/ja

そんな同社が、CI(コーポレート・アイデンティティ)で、社名を「マルハ株式会社」となったのが1993年。広く親しまれていた屋号であり商標を、あえて社名に、カナ文字表記で採用したんですね。

そして、その年の4月のシーズンから、チームは、企業名「大洋」をはずし、そして新企業名「マルハ」を加えることなく、

「横浜ベイスターズ」と改称したのです。

これは、「フランチャイズの都市名+チーム名」から成るMLBのスタイルと同様で新鮮でしたが、「既に著名である」マルハ社がオーナーだったからこそ、できた英断だったと思います(※なお、捕鯨事業は既にかなり縮小されていたこともあり、球団名「ホエールズ」も改称されました)。

その後、マルハ社は、2007年に同業のニチロと経営統合し、持株会社「マルハニチロホールディングス」に、そして2014年に事業会社を一本化し「マルハニチロ」となったわけです。

一方、球団のほうは、1998年にセ・リーグ優勝及び日本一を経て、2002年にマルハはオーナーの座を降り、TBSに球団譲渡しました。しかし、企業名が入っていないことから、球団名は「横浜ベイスターズ」は変わりませんでした。そして、2012年シーズンから、当時は新興企業であったDeNA社がオーナーとなったことに伴い、

「横浜DeNAベイスターズ」

と企業名を含む球団名となったんですね。

しかし、名前も大事ですが、やはり「実」ですよね。DeNAとなってから、さまざまな改革が行われ、真の地域密着進められた結果、いまや増設されたスタンドを含めてもなかなかチケットの取れない、人気球団となったのはご存知のとおりです。

さて、説明がちょっと長くなってしまいましたが、「大洋」時代からのファンである自分が、今回の「マルハニチロ→Umios」への社名変更のニュースを聞いて、どう感じたか…

正直、それほど寂しいとは、感じませんでした。

むしろ、

同社の、リブランディングへの強い決意を、受け止めました。

まず、前者の理由ですけど、ぼくがファンになった時代は、実は「は(マル)」でも「マルハ」でもなく、それらを打ち出していなかった、こんな時代なんです。

横浜大洋ホエールズ(1978年〜1992年)

(※私物。「1973 – 1991」とあるのは、表紙の田代富雄選手 / 現 野手コーチの、現役時代です)

1978年に横浜スタジアムが完成、移転したタイミングで、チームはそれまでの球団名に、都市名の”横浜”を加えたんですね。現在でこそ、パ・リーグ含め、12球団中8球団が地域・都市名を球団名に含めていますが、これはもともと市民球団としたスタートした広島(東洋カープ)に次ぐものだったと思います。また、ユニフォームもこのタイミングで変わったわけですが、子供心に、このデザインがとてもスタイリッシュでカッコよく見えたんです。

(実は、81年にファンになる前から、帽子だけはかぶっていました。実はファンになってみて、初めて「こんなに弱いチームだったのかよ…」と知ったのです)。

ベイスターズ開幕直前!神奈川移転70年目 「川崎での歴史」と「横浜での進化」【News Linkオンライン(2024年)】

ですから、このデザインになる前、川崎球場時代の球団旗や、ユニフォームの袖に、「は(マル)」があるのを見て、「ダサい!こんなんじゃなくてよかった」と思ってたぐらいで、正直このロゴとか名称に、思い入れはないんですよね。https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=001-20160411-19
※1974~77ホーム/山下大輔選手(当時)のユニフォームデザイン。今でこそ、70’sならではの斬新な色使いと、「は(マル)」ロゴの融合が味わい深いな、とも思うけど…

一方、同社の「同社の、リブランディングへの強い決意」を感じてしまう理由は、やはり(商標)弁理士という職業柄かもしれません。はっきりいって、知名度のある商標(名称)を捨てるって、相当の覚悟が要りますよね。

「マルハニチロ」は、経営統合時にありがちな、既存の社名の結合からなる社名/商標なわけですが、そもそもどちらも日本で周知著名なブランドだったわけですし、結合した結果、長すぎるということもない。

たとえば、「銀行」でいうと、合併してできた「太陽神戸三井銀行」は長すぎるので、「さくら」銀行になったわけですが、住友銀行と合併してまた「三井住友」銀行と、旧称をもちいた名称となりました。これぐらいの長さだったら言いやすいですし、定着してますよね。また、長すぎる「太陽神戸三井」銀行も、わずか2年(90年〜92年)で「さくら」銀行に改称しています。

そう考えると、「馴染みのある名称の結合」「結合しても呼びやすい」、そしてその社名になってから約18年も経過してから、全く異なる名称に変更する、しかも不祥事等でイメージが悪くなっているわけでもないのに…というのは異例のことだと思います。

また、今回の新名称にあたって、コンセプトやスローガンなども公表されていますが、

マルハニチロは、umiosへ。|社名変更 特設サイト
https://www.maruha-nichiro.co.jp/rebrand/

こちらにあるいくつかを見ると、数年前のロゴデザイン刷新時(下記)と、ブランドステートメントなどは変わっていないのです。

「マルハニチロ 新コーポレートブランド戦略導入のお知らせ」(2018年)
https://www.maruha-nichiro.co.jp/corporate/news_center/news_topics/2018/03/05_2.html

やはり、企業が目指すこれからのあり方、方向性を実現し、(世界的企業として)認知されていくためには、ロゴ等の刷新だけでは不十分であり、培ったブランドを捨ててでも、新しい企業名(商標)とすることが必要だ、という結論に至ったのかな、と受け止めたのです。

以上をふまえると、オールドホエールズ・ファンとして「マルハ」の文字に格別郷愁を感じることもないし、新ネーミング「umios」とそのロゴデザインに、とやかく意見を言う気にもなりません。
弱かった時代もあったとはいえ、自分の人生にとってかけがえのないものになっている球団を創設し、維持し、そして(一定の役割を果たしたとして)オーナーの座を降りたあとも、スポンサー等として球団をサポートしてくれている同社の新たな挑戦に、ただひたすらエールを送るのみです。

さて、最後にまた少しだけ、弁理士っぽいマニアックな話を。こうした重要な改称を伴う商標登録出願は、決定までに事前の登録可能性の詳細調査が必要なのはもちろんだし、剽窃的な出願に先願の地位を奪われないためにも、「発表」以前、それもなるべく早く出願して先願の地位を確保したいところですが、出願して約1ヶ月で( https://www.j-platpat.inpit.go.jp/ )等で公開されてしまうので、そこからの情報流出も避けたいところです。

そこで今回は、ロゴマークについては、社名変更の発表(3/24)の1週間前である3/17に出願されていました。
https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1801/TR/JP-2025-027709/40/ja
一方、社名の文字商標については、詳しい経緯は存じ上げませんが、全く資本関係がない第三者企業名義で昨年のうちに出願し、同じく今年3月になってから、出願人名義を同社に変更することで、事前の情報漏れを防いでいます。また、この出願を基礎として、パリ条約の優先権制度を利用し、30近くの国・地域に商標出願をしているようです。

参考(弊所コラム)【本当はコワイ商標の話】外国で商標はどう保護する?(2)
https://onion-tmip.net/update/?p=209